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東京地方裁判所 平成4年(ワ)5354号 判決 1993年5月25日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  請求

被告は、原告に対し、二〇〇〇万円及び平成四年四月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告が弁護士として第三者あてに行つた文書の送付行為が原告の名誉、信用を毀損する違法なものであるとして、原告が不法行為に基づき損害賠償(慰謝料)を請求している事案である。

二  当事者間に争いのない事実

1  原告は、第二東京弁護士会所属の弁護士で、弁護士登録名は甲田花子である。被告は第二東京弁護士会所属の弁護士である。

2  原告は、昭和五五年ころからアンドレ・クレージュ社、クレージュ・オム社及びクレージュ・デザイン社(以下「クレージュ三社」という。)の顧問弁護士の地位にあつた。

3  被告は、平成元年四月三日別紙一の書面(甲二)に被告作成の別紙二、三の書面(甲一、三)を添付して、別紙四記載の各会社(以下「ライセンシー」という。)あてに送付した(以下、これらの書面を「本件書面」という。また、本件書面を送付した行為を「本件通知」という。)。

三  原告の主張

1(一)  被告は別紙二の書面に「原告はその地位を解かれた」旨記載したが、原告がクレージュ三社の代理人を解任された事実はない。すなわち、被告が解任の通知であると主張する書面(甲一七、乙四)は、自己都合による委任契約終了の申入れの形をとつた脅しにすぎない。原告は、平成元年三月三一日クレージュ・オム社及びクレージュ・デザイン社の代理人を辞任し、アンドレ・クレージュ社については今も正式には代理人を辞任していない。

(二)  また、被告は、別紙一の書面に「任務に就かない」とあるのを、その訳文たる別紙三の書面であえて「任務を解かれた」と訳出した。

2  弁護士は社会的に信用されており、弁護士が書面に記載したことを世人は真実と受け止めるのが通常である。それゆえ、弁護士は虚偽の事実を記載した書面を配付することのないように注意をする義務がある。被告は、右の義務を怠り、虚偽の事実を記載した書面をライセンシーに配付し、もつて原告の名誉、信用を著しく毀損したものであるから、不法行為責任(民法七〇九、七一〇条)を負うべきである。

3(被告の主張に対する反論)

被告、当時クレージュ・アソシエーション(以下「クラブAC」という。)の会長であつた泰道正年(以下「泰道」という。)及びクレージュ・デザイン社のマネージャーであつたクリスチャン・ドラエーグ(以下「ドラエーグ」という。)は、クレージュ三社のライセンシーの集まりであるクラブACの理事会が管理していた協力金に目を付け、原告が右協力金を使い込んだ旨の事実をでつち上げ、本来クラブACが取得するべき協力金をクレージュ・デザイン社の管理の下に置こうとした。本件通知は、右の違法な意図の下に行われたものであり、正当業務行為には当たらない。

そもそも、本件通知が正当業務行為と言えるためには、原告がクレージュ三社の代理人として協力金の徴収、管理及び運用の業務を行つていたこと並びに原告のクレージュ三社による解任が真実であることを前提とした上で、<1>本件通知により原告の名誉、信用を毀損してまで守らなければならない公益があり、かかる公益は原告の名誉に優越したこと、<2>本件通知はかかる公益を守るための手段方法として適正であつたこと、<3>かかる公益を守る必要性が緊急のものであつたことの各要件が必要である。被告の主張は虚偽の事実を前提とし、しかも右各要件に該当する事実の主張を欠くものであるから、主張自体失当である。

四  被告の主張

1  原告は、クレージュ三社の代理人として、ライセンシーから日本におけるクレージュ・ブランドの普及のための広告宣伝を行う目的で使用する協力金を徴収、管理し、右協力金を運用する等の業務を行つていた。

原告は、右業務をクラブAC事務局の名で行つていたところ、昭和五九年この点が税務当局から問題とされたため、右協力金の管理、運用業務を有限会社クレージュアソシエーション(以下「有限会社」という。)にすべて移管することにした。

2  平成元年二月ころ、クレージュ三社は、右協力金の管理、運用の実態を明らかにするためクレージュ三社の監督の下にライセンシーの声を反映した別組織を作ることを意図し、原告に協力を求めた。原告は、いつたんは右の要請を受け入れる態度を示したが、その後有限会社の持分の譲渡の話合いに応じないなど依頼者であるクレージュ三社の依頼の趣旨に反する行動をとり続けるようになつた。そのため、原告は、クレージュ三社との間の信頼関係を失い、同年三月二九日付けの通知により同月末日をもつてクレージュ三社の顧問弁護士の地位を解かれるに至つた。

3  平成元年三月末ころ、クレージュ三社の意向を受けたドラエーグは、被告に対し、別紙一の書面を送付した上、この書面をライセンシーに送付するとともに、ライセンシーに対して協力金の振込先口座を変更した旨通知するように依頼した。これには、原告の管理する口座に協力金が振り込まれることを防止し、あわせて、ライセンス管理などの混乱を避ける目的があつた。

4  被告は、ドラエーグの依頼を受けて別紙二、三の書面を作成した。これらの書面はいずれも事実を記載したものであり、被告は別紙三の書面の翻訳につき、「解任」と意訳できるところを「任務を解かれました」と訳出するなど注意を払つている。

5  以上のとおり、被告は、クレージュ三社の意向に従つて本件書面をライセンシーに送付したものであり、原告がクレージュ三社の代理人の地位を解かれたことをライセンシーに告げる必要性が高かつたこと、本件書面の内容及び本件通知は、内容、手段及び方法において相当であつたことからすれば、右は弁護士としての正当業務行為に当たる。したがつて、被告の行為には違法性がない。

五  争点

1  本件通知の性格はどのようなものであるか。

2  本件通知は被告の弁護士としての正当業務行為といえるか。

なお、被告は正当業務行為の主張の外、本件書面の内容は各ライセンシー間の公共の利害に関するものであり、かつ、その公表は専ら公益を図る目的に出たもので、摘示された事実は真実であるから、本件通知は違法性を阻却される旨併せて主張している。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件通知の性格)について

1  本件書面のうち、被告作成に係る別紙二、三の書面には、それぞれ「クレージュ三社の代理人であつた甲田花子弁護士は、その地位を解かれました」「甲田--甲野弁護士は……(クレージュ三社の)顧問弁護士の任務を解かれました」旨の記載がある。

2  一般に、「任務(地位)を解かれた」という表現は「解任」という言葉を柔らかく言い直したものと言うことができる(広辞苑、大辞林等参照)。しかし、「任務(地位)を解かれた」という言葉からでも、原告に何か不始末があつたためその責任を取る形で辞めさせられたのではないかとの想像を巡らす可能性はあり得る。

本件において、本件書面が送付された先はライセンシーであつて、しかも、《証拠略》によれば、本件通知前、ライセンシー間に原告がライセンシーから集金した協力金を使い込んでいる旨のうわさが流れていたことが認められる。

3  右のような事情の下では、本件書面の送付を受けたライセンシーが、本件通知を、使い込みが原因で原告が顧問弁護士を辞めさせられたとの趣旨に受け取るおそれがあつたということができ、本件通知は原告の名誉、信用を毀損する性質の行為であるものといえる。

二  争点2(正当業務行為の成否)について

1  《証拠略》によれば、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断略》

(一) 昭和六三年九月か一〇月ころ、被告は、ドラエーグの訪問を受け、クレージュ三社と日本のデベロッパーとの間で新しいライセンス契約を締結することに関する案件の処理を依頼された。その際、ドラエーグは、日本国内の案件については今まで別の弁護士に依頼していたが、この件については新たな弁護士の手で契約関係の処理をしてほしいと述べた。被告は、そのころ、依頼者の依頼により、法律的に検討を加えた上右の案件を処理した。

(二) 平成元年一月か二月ころ、再度ドラエーグが被告を訪ね、原告の名前を出した上、原告の地位や職務内容、クラブACや有限会社の概要、さらにライセンス契約に附帯する協力金の位置づけにつき説明をした。その後何回かの打合せの際の説明を合わせると、ドラエーグの説明の内容は大要次のとおりであつた。

(1) 原告はクレージュ三社の顧問弁護士であること。

(2) 原告は、顧問弁護士の地位に基づいて、ライセンス契約締結に関与し、ライセンス管理を行うこと、それに加え、日本におけるクレージュ・ブランドの普及のための広告宣伝活動を行う目的で使用する協力金を徴収、管理し、これを具体的な広告宣伝活動のために支出、運用すること。

(3) (2)の協力金については、クレージュ三社がライセンシーとの間で共同で広告宣伝活動を行う旨の契約を締結しており、その契約に基づいてライセンシーがクレージュ三社に協力金を支払うことになつていること、右契約はライセンス契約に付随して締結され、これを証する書面は「覚書」(乙八~一〇)であること。

その際、クレージュ三社に協力金が直接帰属する形にせずに、当時クレージュ三社にとつて日本での唯一の窓口であつた原告に、徴収、管理、運用(広告宣伝活動)等を委ねることにしたこと。

ただし、原告が日本の実情に合わせて具体的な広告宣伝活動を行うに際しては、クレージュ三社に逐一報告をし、クレージュ三社が承認をすること。

現在、協力金の徴収先は有限会社となつているが、それは、経費処理上徴収の主体に法人格が必要であるため有限会社を利用したもので、前記の協力金に関する実態は変わつていないこと。

(4) クラブACは、ライセンシーの集合体であり、ライセンシー間の親睦を図るとともに、(3)の広告宣伝活動におけるライセンシーの意見調整のため設立されたものであること。

(三) ドラエーグは、右の説明に引き続いて、協力金の管理、運用に関するクレージュ三社の意向を次のように述べた。

すなわち、協力金の管理、運用については原告に手を引いてもらい、クレージュ三社の監督の下にライセンシーの声を反映して協力金の管理、運営を行う組織を新たに作り、右業務をこの組織に委ねる。現時点では、取りあえず、有限会社の社員構成を改めるため、有限会社の持分を原告及びその関係者から設立に要した費用と出資金を支払つて取得することを考えている。

そして、ドラエーグは有限会社の持分取得の具体的な手続及びその後の問題の処理を被告に依頼した。

(四) 平成元年二月三日、赤坂プリンスホテルで、ドラエーグ、泰道、中陽子及び原告が打合せをした席に、被告はドラエーグに頼まれ同席した。

この席で、ドラエーグは、原告に対し、「有限会社の持分全部を被告と泰道に半分ずつ設立に要した費用と出資金に相当する価額で譲渡してほしい」旨述べた。そして、ドラエーグは、持分譲渡に伴う具体的な事務手続として、原告に対し、有限会社の帳簿や書類等を渡してほしい旨要求した。

(五) 被告は、その後クレージュ三社の依頼の趣旨に従い、有限会社の持分譲渡の具体的な手続を進めるべく、原告との間で打合せをしようとして、何度も原告の法律事務所に電話やファックスを入れたが、原告はこれに全く対応せず、持分譲渡の話は進展しなかつた。被告は、右の状況を随時ドラエーグに報告していた。

(六) 平成元年三月中旬になつても、原告からの連絡はなかつたため、ドラエーグは原告に対し強い不信感を持つようになつた。ドラエーグは、同月二〇日付け書面(甲一六)で原告に対し、早急に有限会社の持分譲渡に関して返事をしてほしい、もし返事がない時はクレージュ・デザイン社の代理人を解任する旨連絡した。

しかし、原告は右書面に対しても返事をしなかつたため、クレージュ三社は、原告が今までの協力金の管理、運用の状況をクレージュ三社に公開すると不都合なことがあるので、原告はそれを恐れて公開しないのではないかとの強い疑惑を抱くようになつた。クレージュ三社は、このような原告に対する強い疑惑によつて、これ以上原告との間の信頼関係を保つことはできないと判断し、原告の顧問弁護士の任務を解くしかないとの結論に達した。被告は、そのころドラエーグから、右の結論及び理由をクレージュ三社の意向として聞いた。

(七) 平成元年三月末、クレージュ三社は、クレージュ・デザイン社のドラエーグ、アンドレ・クレージュ社の管財人クリキ、フィリッポ両氏の代理人ジャン・パスカリ及びクレージュ・オム社のマドレーヌ・ヴァルケスが連署した三月二九日付け通知(乙四)をファックスで発送した。右通知は、同月末日限りで原告のクレージュ三社の顧問弁護士の地位を解く、原告は被告に対し必要な書類を引き渡せとの内容であつた。原告は遅くとも同月三〇日に右書面を受領した。また、被告は、そのころドラエーグからファックスで右書面の送付を受け、原告に対し解任通知が発送された事実を確認した。

(八) ドラエーグは、被告に対し、別紙一の書面を送付した上、この書面を全ライセンシーに送付するとともに、ライセンシーに対し協力金の振込先口座を変更した旨の通知を送るように依頼した。ドラエーグが右のような依頼をしたのは、協力金が原告の管理する口座に振り込まれることを防止し、原告の関与によりライセンシー間に無用の混乱が生じるのを防ぐためであつた。ドラエーグは、右の依頼に当たつて、クレージュ三社の意向に基づいて原告との委任関係を絶つ旨を日本のライセンシーに知らしめたいとの意向を被告に漏らした。

(九) 被告は、平成元年三月末から四月初めにかけてドラエーグから乙六の1、2の書面のファックスを受領した。右書面には、原告がアンドレ・クレージュ社の管財人のクリキに対し、「あえて我々の仕事を続ける所存です」と述べて、解任通知の効力を争う旨記載されていた。

被告は、右書面を見て、原告が解任通知に反する行動をとる危険性があること、その場合ライセンシーに混乱が生じることを未然に防止するため、原告がクレージュ三社の顧問弁護士の任務を解かれたことを明確にライセンシーに告知する必要があると判断した。

(一〇) 被告は、以上のような経過を踏まえて、依頼者であるドラエーグの依頼の内容は法律上問題がなく、そうであれば依頼者の意向に沿つた処理をすべきであると判断し、別紙二、三の書面を作成し、本件通知をした。

被告は、別紙二の書面の起案に当たつて、「解任された」という表現では原告の弁護士としての立場が失われてしまうと考え、「その地位を解かれました」との表現を用いることにし、同様に別紙三の書面の作成についても「解任」と意訳できるところを「任務を解かれました」と訳出した。

2(一)  一般に、弁護士は依頼者の依頼の趣旨に沿うよう委任された法律事務を処理することが要求されるところ、依頼者の依頼の内容が公序良俗に反する等明白に違法な場合、あるいは右依頼の内容を実現することが違法な結果を招来することにつき弁護士が悪意又は重過失であつた場合等例外的な場合を除き、弁護士が依頼者の依頼により行つた行為は、正当業務行為として違法性が阻却されるものと解するのが相当である。特に、弁護士の業務の性質上、弁護士が依頼者の依頼に従い業務を行うことが、依頼者と利害の対立する立場にある者の名誉、信用に抵触することになる場合は少なくないのであり、かかる場合でも弁護士としてその任務を尽くす必要があることはいうまでもない。したがつて、本件通知の必要性があつたこと並びに通知の内容、手段及び方法が相当なものであると認められるときは、正当業務行為性を失わないものというべきである。

これに対し、原告は、本件通知が正当業務行為として違法性が阻却されるためには、原告の名誉、信用に優越する公益が存在したこと、右公益を守る緊急の必要性があつたことの要件が更に必要である旨主張するが、独自の見解であつて採用することができない。

(二)  これを本件についてみるに、被告はドラエーグの依頼により本件通知を行つたものであり、原告が解任通知の効力を争つていたことから、協力金が原告の管理する口座に振り込まれること、原告の関与によりライセンシー間に混乱が生じることを防ぐ必要があり、かつ、前示1(八)~(一〇)認定の事実によれば、本件通知の内容、手段及び方法は相当なものであつたものと認められる。したがつて、本件通知は正当業務行為として違法性が阻却されるというべきである。

(三)  これに対し、原告はクレージュ三社の代理人を解任された事実を争い、自らクレージュ・オム社及びクレージュ・デザイン社の代理人を辞任した旨主張し、これに沿う《証拠略》が存在する。

しかし、本件では、原告を解任する旨の通知の法的効力が争点ではなく、本件通知が原告に対する不法行為を構成するか否かが争点であるから、原告が主張するように、解任が有効なものか否かを確定する必要があるとは解されない。前示1認定のとおり、被告は、ドラエーグからクレージュ三社は原告の顧問弁護士の地位を解く意向であることを聞き、解任通知(乙四)が原告に発送された事実を確認していたのであるから、被告としては、右解任行為の事実が存在することを前提に行動すれば足りる(むしろ、行動する義務がある)というべきである。原告の右主張は前提を異にするものであり、採用できない。

原告は、さらに、被告、泰道及びドラエーグの三名は、原告が協力金を使い込んだ旨の事実をでつち上げ、これを種に解任の事実をちらつかせて原告を脅し、協力金をクレージュ・デザイン社の管理下に置こうとしたものであり、乙四号証の書面は解任通知の形をとつた脅しである旨主張する。

しかし、本件全証拠によつても、被告、泰道及びドラエーグの三名が共謀の上原告主張の計画を立て、これに基づいて被告が行動していたことを認めることはできない。原告は、別事件の尋問調書で、被告が本件通知をしたのは泰道の指示によると信じている旨供述するが、裏付けを欠く単なる憶測にすぎず、右供述部分は採用できない。

三  結論

以上の次第であるから、本件通知が弁護士としての正当業務行為である旨の被告の抗弁は理由がある。

よつて、その余の点について判断するまでもなく、本件通知が不法行為を構成することを前提とする原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官 石川善則 裁判官 春日通良 裁判官 和久田道雄)

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